修行道場
臨済宗の修行道場は、本当にきついです。一年行ってみて、何で何年もこんな所にいられるのか分からないと心底思いました。想像以上のキツサで、言語でいい尽くせない程の辛さでした。今、少し時間を置いてみると、夢のようでもあり、人生の中でものすごく意味のある経験であったような気もします。現実に戻ってきても人に語って理解してもらえるものでもありません。今は、自分でも、そのもっと奥を知りたい様な、知らねばならない様な、複雑な気分でいっぱいです。結論として、もう一度修行道場に再掛搭しようと思っています。今度は、別の道場に行きます。もちろん、夫とも卒婚について話しました。人とは、縁を切る必要なんて無いんですよ。離婚はないです。皆が繋がり合って世界が出来ているんです。夫も友人も何かの因縁で出会ったのですから、私の世界のかけがえの無い曼荼羅の一部です。問題は、私の修行にどう周囲を良い意味で巻き込んで行くことができるかと言うことです。今回はしっかりと自分を立て直して道場に入るつもりです。今度は、本当の宗教者になるための修行だと思っています。
剃髪
2年前、得度式の前日に剃髪をしてもらいました。体育館で、先生と学生の仲間に剃ってもらいました。バリカンは、お医者さんの学生さんが、慣れてるからとやっていただきました。もちろん、58年間大事にしてきた髪ですから、色々な想いが溢れてきます。得度式の後も、カツラを買ったり、帽子を買ったりなかなか踏ん切りがつきませんでした。そして、専門道場に入ると、今度は、キレイにそれてないととても恥ずかしいです。家に帰って、髪が伸びて来るとまた恥ずかしくなります。やはり、髪は煩悩なのでしょうね。
いくらコロナ禍でも納得できないこともある
僧堂から出てみれば、世の中が一転していました。1年間、外界の情報を知ることができなかったので、帰ってみてびっくりです。4,5,6、月と学校の寮から全く出られず、朝課、坐禅、作務、遠隔授業の日々、僧堂を出る意味などなかったです。結局、先輩の助言や、周囲の助言で秋には、また僧堂に掛塔の運びになろうとは・・・・・
ともあれ、夫のある身の出家です。夏休みを謳歌し、家族サービスを十分してから、再掛塔しようと決意しました。ところが、コロナが終息せずに、旅行も憚られる昨今です。ここで、家族サービスできねば、また数年間は、一緒に暮らすこともできません。go to travelは、まさに願ったりかなったりの施策でした。そこで、夫婦2人で熊野古道に出かけることになりました。もちろん、この時期に旅行に行くなどと、夫以外の家族は大反対でした。それでも、マスクをして、除菌スプレーを持ってシーズン中とはいえ、信じられないくらい人のいない観光地を回りました。