お寺でダイエット

シニア世代女子で尼僧になるべく精進しています。

今の生活

臨済宗の修行は厳しい。全寮制の学校を2年行き、修行道場に1年暮らし、日数が2週間足りないと言われ、更に違う道場に行ったら、1ヶ月で追い出された。年ですから、身体も動かないし、耳も良く聞こえない。でも必死でやってました。何せ、30年働いてきて疲れ果てた後ですから。見るに見かねた恩師に空き寺に入れてもらい、本山の研修制度で、教師を目指している。周囲に聞きながらの寺暮らし。檀家もあるので、月参りや法事もやる。お焚き上げや庭木の剪定もする。もちろん、朝課、午課、晩課もする。施餓鬼の卒塔婆も書く。座敷、本堂の片付け、花を活ける。田舎なので草や木切れを乾燥させて焼く、仏壇の花を絶やさず、庭を綺麗に保つ。

寺を知って貰うのに友達にメールし、ツイッターを書く。寺のハード面は、檀家さんがやってくれるが、細かい事にはお金がかかる。供養の野菜だけでは、健康を維持できない。空いてる時間で看護師免許を使ってアルバイトもする。寺務所で寝起きし、生活の後をできるだけ残さない。夜は、法事や習俗の本を読み、大学院の臨床宗教学をリモート授業で学ぶ。お寺の経営についてもリモート授業で学ぶ。こんな感じで新生活が始まった。
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施餓鬼の準備

ゴールデンウィークに近所の人達と施餓鬼旗を作りました。僧侶になるまで施餓鬼を知らなかったので、施餓鬼旗という御幣を持ち帰って、お墓に立てる風習を知り、興味深々です。早速、本を買い、図書館に走り、お勉強。施餓鬼は、無縁仏を祀る風習です。貧しい時代、戦争や飢餓がどんなに悲惨で、人々に暗い印象を与えたのかが伺われる風習でした。地獄に落ちた餓鬼は、水も食べ物も食べることができません。生き残った人達は、自らの祖先よりも、名も無き人々の供養を優先しました。施餓鬼は、そんな優しさの表れでした。何にも考えずに生きてきた人生を悔います。地震津波やコロナ禍は、今でも襲いかかってくる禍です。地域の中で、施餓鬼を思い、供養することは、今を生きる私たちにも必要なことなのかもしれません。


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フリーランスのスピリチュアルケアナース

  名刺を作ってみました。何かのカテゴリーに属することもアイデンティティーを維持するために必要です。お寺に住んで、お経を読み、掃除、坐禅、貰い物で生活できれば、良いのですが、庭の手入れもしたいし、収納家具や掃除道具も買いたいとなれば、現金も必要です。看護師免許を持っているので、使わない手はありません。幸い、作務を重視する宗派ですので、パートの訪問看護師を始めました。お参りのお布施と訪問看護の給料で、生活の基盤ができました。これで、お花をたくさん買えます。自分の中では、寺の仕事と訪問看護が上手く融合出来れば良いなと思っています。お寺の仕事と福祉を繋げて行けたら。本山の安居会と臨床宗教師の学業も有ります。コロナ禍で、東京にも戻れません。今の自分は、フリーランスのスピリチュアルケアナース見習いというところでしょうか。
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三界萬霊

  お寺の墓地に、三界萬霊塔が建っていました。三界とは、過去、現在、未来の他に欲界、色界、無色界なんて難しいことを言うけど、全ての世界、宇宙は、スピリチュアルで溢れているという意味だと思います。スピリチュアルとは、全ての感動的な心を揺さぶられるもの。それは、物質を越えています。、WHOだって、スピリチュアリティを健康の概念と考えようとしています。まだ、国際的な定義にはなっていませんが。

   それにしたって、人間は、スピリチュアリティのために死ぬことだって、生きることだって出きるんです。スピリチュアルは、心に目指す月であり、昴であり、絶対的な美、生きる本当の目的です。

  朝、鴬の声で目覚め、一人で坐禅をし、寺の周囲の景色に力をもらう。宇宙は、光で満ち溢れている、それは、自分が生きていようが、死んだ後でも変わることがありません。仏壇にお茶を供え、膳を捧げ、香をたく、それらの全てが、スピリチュアリティとの一体感となります。案外、毎日感動の連続です。


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初めてのお仕事

  4月になってお寺の仕事が始まりました。朝、5時に起きて、お茶を沸かして、お粥の準備、お供えをしてから、残りの時間で本堂で坐禅をします。勿論、雲水衣を着ています。6時になったら、木板を打ち、本堂の入り口と窓を開け、長線香を立てて、朝課のお経を読みます。田舎なので、いくら音を出しても、近所の人達は喜びます。そこが、都会のお寺と違うところです。朝課が終われば、お寺で月参りをやってくれと言う人達のために、戒名を入れた回向を入れたお経を読みます。7時過ぎに終わって、お粥を温めながら、韋駄天様にお経をあげ、1日の無事を祈ってから、持鉢と呼ばれる応量器を広げながら、また、お経を読みます。朝は、お粥と漬け物だけです。食べた後は、またお経を読みながら片付けます。作務衣に着替えて、生け花を直し、廊下を拭いて、車でゴミ出しです。帰ってきて、スケジュール確認。月参りがあれば改良衣に着替えます。仕事がなければ、庭を掃除して、洗濯。空き寺に入ったので、荒れた庭の整備です。日光を遮る木の枝は花が終われば、バシバシ切ります。切った枝は山の奥へ捨てます。月参りは、歩いていける範囲です。午後は、訪問看護の仕事があれば出掛けます。いわゆる、個人事業主のようなものです。取りあえず、生活費は稼がないと生きていけません。元々、臨床宗教師になりたくて入った道なので、少しでも近づかなければなりません。

  天気の良い日、庭の草木で生け花をします。祭壇の花も水を代え、少しでも人が入りやすい雰囲気を作ります。庭の掃除をしながら、お参りに来た人と話します。ご接待も心がけます。午後は、18時前に帰り、お経の練習。木板を打ち、本堂を閉め、庫裏の玄関を閉め、明日伺うお宅へ確認の電話をして、夕飯食べて、お佉を読んで寝ます。行住起臥の全てが修行の禅宗です。食べ物は、近所からのご供養ですが、野菜が主なので、さすがに体力が持ちません。少しは、お肉も買って来るようにしています。道場では、1年で10kgも痩せてフラフラでした。足のしびれも半年も治癒せず、耳も難聴になりました。もう、あんな思いはしたくはありません。

 

供養された物だけ食べる

頂いた食材は、美味しく食べて、なるべく捨てないように食べきります。今日は初物の筍。竹林のあるお宅から筍を貰うのがささやかな夢でした。やったトマトの味噌汁は、亡くなった元師僧から教えてもらったもの。トマトは、味噌汁に合います。筍は、穂先だけ、酢味噌和えにし、菜葉は、カラシゴママヨネーズ和えに。筍は茹でてあったので、あっという間にできました。筍の固い部分は、糠味噌につけてみます。今日は、午後は生えすぎた南天の木を少し間引きました。働いて、精進料理を食べる。これが、お寺でダイエットの醍醐味です。
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ケアと仏教

仏陀は、生きずらさを解消するために仏教を広められ ましま。だとするなら、ケアするものにとっての仏教とは何でしょうか。これにも答えはあります。大乗仏教は、自分のことより、人のために働くことを良しとしました。上求菩薩下化衆生です。仏陀になるための修行をする菩薩は、自分のそのためには、自分の修行だけではためです。修行の成果を社会の中で発揮しなくては。医療や福祉の専門家は、人の役にたちます。仏教に出会う前、私は、生きることをあきらめた人の前でとても無力でした。また、私は、今まで、なぜ人の役にたたねばならないのか、理論的根拠を知りませんでした。看護や福祉の専門家は、情熱を持って仕事をしなくてはなりません。しかし、初めの情熱は、何時か薄れます。どうすれば、情熱を持ち続けることが出きるのか?私に取って、一つの答えは、仏教の中にありました。もちろん仏教でなくても良いのですが。専門職の人達に、限りある人生を人のために使うことの大事さを伝えられたら。生きることをあきらめてしまった高齢者や若者に、今一瞬の命を輝かせることに気づいてもらえたらどんなに良いでしょう。そのために、作務の替わりにそれに替わる仕事を探しています。

 

それにしても、60歳過ぎると本当に仕事ないです。55歳までは、あんなに引く手あまただったのに。私はまだ、人生をあきらめていないのに❗️